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あの娘をたずねて三千里 東陽片岡

第4回 タイへ

☆読者の皆様へ☆
突然ではありますが、ここで話を現在(平成十八年暮れ)に飛ばさせてもらいます。ワタシは記憶力の無さにおいては、人後に落ちない自信があるのですが、当連載においてもそれが遺憾なく発揮されてしまった為、話の内容を若干訂正せざるを得なくなったのです。
 ワタシが某スポーツ雑誌編集長の内田さんから、タイ旅行の誘いを受け、行こうと決断したのが昭和六十三年、ワタシが三十歳ん時つー事になっておりましたが、これは平成元年、三十一歳ん時の間違いであります。
 つまり白山のアパートに引っ越して、曙橋の鉄筋事務所通いを始めてから、とっくに一年が経過していたのでした。その間、世の中は揺れ動いてまして、昭和天皇が崩御して元号が平成となり、んでリクルート事件では前会長が逮捕され、ついでに竹下首相も退陣し、中国では天安門事件が起きるという激動ぶりだったのであります。
 何となく三十歳になっていたワタシは、その間どうしていたかっつーと、別に何もしていなくて、ヘラヘラと飲み屋へ通い、んでお風俗でイイ気持ちになりながら、相変わらずシコシコと割り付け作業に励んでいた訳です。鼻クソをほじりつつ、過去の資料を読んでいたら突然この事実が判明しましたので、訂正します。

 さて、めでたくパスポートも取得し、チャックを開けっと容量が二倍になる、キャスター付旅行カバンも購入して、タイ旅行の準備が整いました。あとは寝て、出発日を待つだけであります。
 飛行機に乗るなんつーのも、子供の頃に北海道へ飛んだ時以来であります。アップダウンクイズで、タラップを上って優勝者を迎えに行く時に、ついテレビの下から覗いてしまった、ミニスカートのスチュワーデスのおネエさん達に会えるのかと思うと、これまたゾクゾクしてきたのでありました。
 成田空港からタイのドンムアン空港まで、約6時間半かかるそうです。そんな長時間、機内でジッとしてるなんて、考えただけでもゾッとしてしまいます。エロ本を持って行って、便所で高度1万mのオナニーをしようかと考えてみましたが、そんな時に乱気流に入ったら大変であります。とはいえ、世の中には飛行機ん中で、オナニーをした奴はたくさんいると思います。

 つーわけで、いよいよタイへ出発であります。うすらでかいカバンを引きずりながら、京成線でなんとか成田空港にたどり着きます。すでに内田編集長はじめ、ツアーに参加する人達が集まりはじめていました。
 本日が初対面の方が多くおりますが、皆さん内田さんの知り合いで、タイにハマッてしまった人ばかりだそうです。
 ジャズの山下洋輔みたいな顔をした、岐阜でスポーツジムを経営する森さん、興業会社の部長の山村さん、出版社社長の松本さん、同社の西川さん。内田さんを含め、全員シアワセそうな顔をしております。ただワタシだけが初めてなので、若干緊張気味であります。
 ミニスカ・スチュワーデスの期待は、見事に裏切られました。我々が乗るのは、インド航空という、とても料金が安い会社の飛行機だったのです。機内もどことなく古びており、便所などすさまじい汚れ方をしておりました。んで問題のスチュワーデスは、なんと各人が勝手な服を着ており、中にはサンダルばきの不良スチュワーデスまでいました。どことなく愛想が悪く、皆さん安い給料でコキ使われて、大変なんだろうなと思いました。
 隣の席に座ったスポーツジムの森さんは、タイ語の本を取り出し「ヌン、ソン、サン、シー・・・・」とお勉強を始めています。よりタイを楽しもうという、アクティブな姿勢に頭が下がります。
内田さんは、山村さん達と楽しそうに話し込んでいます。乱気流にブチあたるたびに、数年前の日航機墜落事故を思い出して冷や汗をかいてるうちに、窓の外に街の灯りが見え始めました。高度もだいぶ下がってきたようです。いよいよタイへ到着であります。

 なんかこう、揚げ物の匂いを含んだモワ〜ッとした気怠い空気、つーのがドンムアン空港に降りた時の印象でした。初めて日本へ来っと、なんとなくショウユの香りがするそうなので、国の匂いというヤツかも知れません。
 ツアー一行は、空港へ迎えに来た観光バスにドヤドヤと乗り込み、バンコクへと向かいます。夜の高速道路は結構混んでいて、ノーヘルのバイクが器用に車間を走り抜けて行きます。リヤに、大きなローマ字でメーカー名が書かれたピックアップも、やたらと目に付きます。そして、荷台には人がたくさん乗っていたりします。クラクションの音、クルマの黒煙、白煙、騒音。どうやらとんでもない世界に来てしまったようです。車外を眺めていたら、頭がボーッとしてきました
 観光バスが到着したのは、市内の東側、スクンビット通りから少し入った所にある、高級ホテルでした。日本円で一泊約五千円ですが、とても広いツインルームで、庭にはプールまで完備していました。
 いつもバイク・ツーリングで、テントか国民宿舎、高くても民宿程度しか泊まった事がないワタシとしては、もはや殿様気分であります。ホテルの従業員にはチップをやり、ロビーでは偉そうにふんぞり返りながら、生ジュースをチューチュー吸います。ああ、なんつーシアワセなんでしょう。貧乏人はこうして、徐々にゼイタクになっていくのであります。

 夜も更けてきた頃、集合の合図がかかりました。あくまでも希望者のみ、こいから夜のバンコクツアーに出かけるのだそうです。もちろん、内田さんの関係者は全員参加であります。どうせ、ホテルにいても仕方ないから、興味半分でワタシも行くことにしました。段取り良く観光バスが迎えに来ていて、またドヤドヤと乗り込み、街へ繰り出しました。
 バンコクつー街は、蛍光灯の明かりが多いんだな、なんて感心してるうちに、バスはアヤしいネオン街に入り、ある飲み屋の前にビッと止まりました。レストランでもパブでもない感じの、間口は広いのになんとも薄暗い飲み屋であります。一人では絶対に入れない雰囲気ですが、観光バスが横付けですので、強気で中に入っていきました。
 扉を開けたらビックシ仰天であります。暗い店内の正面に大きなガラスが張ってあり、その向こうには、ドレスを着たおネエちゃんが百人くらい、ひな壇の形で座っていたのであります。皆さん我々をジッと見つめております。ワタシはアセリました。
 「えーと、えーと、えーとね」なんて言いながら、内田さんはガラスにへばり付いたままウロウロしています。他の人達も、真剣な顔をして女の子を物色中であります。
 皆さん指名が終わり、ワタシが最後になりました。あまし迷っているのも恥ずかしいので、適当に、割と小柄で清楚な感じの女の子を頼みました。すでに皆さんは、席に着いて酒を飲んでいます。
 なるほど、こいから女の子と一緒に夜を楽しもうつー訳であります。何も解らないまま観光客としてバンコクに来て、んでいきなしタイ人の女の子と、ディープな夜が始まろうとしおりました。現実をよく把握しきれぬまま酒を飲んでいたら、指名した女の子が着替えてやって来ました。よく見ると、まだ十代のあどけない感じの娘で、タラリと冷や汗が流れたのでした。
(続く)

著者プロフィール
1958年東京生れ。多摩美術大学デザイン科卒業。卒業後、雑誌のレイアウターやエロ本グラビアのモデルをしながら自費出版本「おゆき」を発行し話題に。94年「ガロ」にて『やらかい漫画』でデビュー。以来、畳の目を一本一本描く昭和の匂いの漂う画風で底辺に生きる人々を描き、独自のスタイルを確立。漫画以外でも、花村萬月、岩井志麻子より御指名で挿絵も担当。著書に『お三十路の町』『段ボール低国の天使たち』『うすバカ風俗伝』など。

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